Every child has a beautiful name.
こんにちは。
昼間ですが、みっちです。
地元駅に向かう道すがら、何故か、
ゴダイゴの「beautiful name」が、頭の中をグルグルし出しました。
改めて歌詞を読んで感じるのは、
これは、大人の歌だったのだな、
ということです。
大人に向けた歌、という意味ではなく、
この歌詞の視点が、大人のものなんだなぁ、と感じたのです。
子ども1人ひとりに素晴らしい名前があって、
(美しい じゃなくて、素晴らしい という和訳が、もう、素晴らしい!)
その名を呼ぶことで、その子の生命が光る。
悲しみも、仲間の名前の中に溶けていく。
名前は、燃える生命なんだ。
インナーチャイルドを扱っていると、
名前が重要な場面に出会うことがあります。
内側の、子どもの名前。
瞑想や、簡単な質問ワークなどで、
内側の子どもに出会うとき、
必ず、その子の名前を、その子自身に尋ねます。
大抵、名乗ってくれるのですが、
長年、その存在を否定されてきて、無視され続けてきた子どもに出会った場合、その子は自分の名前すらわからず、教えてくれることはありません。
名前がわからない内側の子どもは、
アイデンティティが持てず、
常に不安で、不条理で、恐ろしい存在として、内側に在らねばならない…という、
哀しみを背負わされています。
名無しの、正体不明の存在。
存在しているのかも、不明なモノ。
もし、自分が、誰かにそんな風に扱われたら、どう感じるでしょう。
名前も与えられず、
存在すら消されてしまう。
そんな扱い。
酷く恐ろしく、
身の毛もよだつほどに不安で、
永久凍土よりも冷たく哀しいに違いありません。
そして、そんな扱いをする相手に対して、いつ爆発するかわからない、地雷のような怒りを持ち続けるかもしれません。
自分の内側が、内側の子どもが、
そんな状態だとしたら、
どんなにか辛い人生だろう…
それは計り知れません。
私達の現実世界でも、
お互いの名前を覚える、呼びかけることで、
関係性が変わることって、結構、あると思います。
大好きな相手に自分の名前を覚えてもらって、
呼んでもらえて、とても嬉しかった体験があります。
みなさんにも、思い出されることが、
あるのではないでしょうか。
私達の内側の子ども達も、
親の意識で在る現実世界の私達に、
その名前を呼んでもらうことを、
呼びかけて、こちらを向いてくれることを、
切ないくらいに望んでいます。
呼びかけて抱きしめることで、
この歌にあるように、
世界は子ども達の歌声で包まれていくのでしょう。
それはきっと、
愛に溢れた、幸せな世界なのかもしれません。
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