争いの果てに手に入る…の?

お多福のように、いつでもにこやかに在りたいものだけど、今日は、それがちょっと難しい出来事がありました。
 
 
 
以下、お目汚しの可能性のある独り言です。
嫌だな、と感じられたら、華麗にスルーしてください。
 
 
 
 
 

 
 
 
仕事帰り。西武新宿駅は、整列乗車というのを実施しています。
 
 
終点の西武新宿駅まで乗って、折り返すことで、始発に乗車できる為、座って帰れます。


小狡い感じですが、一旦下車し整列して再乗車することで、公平性を保っている訳です。
 
 
 
御多分に洩れず、今日もそんな風にして乗車しようとしていたのですが、電車のドアが開いた直後、後ろの人に押されたのです。
「早く乗れ」と言わんばかりに。
 
 
  
 

電車の扉は引き戸ですので、開いた時、中央部と両端では、ほんの少しタイムラグがありますね。
 
 
3列に並んでいるとしたら、真ん中の列の人がほんの一足早く乗り込める、という訳です。

 
 

わたしは端に並んでいたので、扉が開いた時、即座に乗り込もうとすると、扉にぶつかってしまう危険性がある訳です。
 
 
今回、後ろから押されたことで、危うく扉にぶつかるところでした。
 
   


押された瞬間、「そんなに押さなくても乗りますよ」と思ったんですけど、もしや、これは、怒ってもいい事案だったんでしょうか。
 
  
 
 
。。。o(゚^ ゚)ウーン
 
  

 
 
多分、わたしを押した人は、一刻も早く着席したかったのだと思います。
 
もしかしたら、お目当ての座席があったのかもしれません。
 
誰かを押しのけてでも座りたいほど、クタクタに疲れていたのかもしれません。
 
わたしもクタクタな時は、座れるかどうか、ヤキモキすることがあります。
焦る気持ちは、よく分かるつもりです。
 
 

   

 

 
だとしても、誰かを押しのけないといけないのでしょうか。
 
 
争わないと、望みのモノは、手に入れられないのでしょうか。

 
誰かを押しのけて、無事、座席に座れたとして、それって気分の良いものでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
今回のことで、怪我した訳でもないし、嫌な目に遭った訳でもないし、押しのけられて座れなかった訳でもないし、何をそんな大袈裟な…と思うかもしれませんが…。
 
 
 
 
似たようなことは、往々にしてあるように感じたので、独り言として書いてみました。
 
 

通奏底音

内側の光、氣づきを現実化するには、 身体(body)心(mind)魂(spirit)の癒しが 不可欠です。 「本来の自分」として生きるには、 この3つのうち、どれが欠けてもままなりません。 「本来の自分」が望む世界を現実化するための、 勇氣ある一歩を踏み出すあなたに、 癒しと学びをご提供しています。 心と身体、魂の癒しを学び伝える ◎ 通奏底音